【仲谷史子】VOL.② 喋らない子どもから、言葉を伝える文筆家へ。心に響く文章講座を通して届けたい想いとは?


感性の壁を越えた心理学との出会い


ーここで、文学学校につながる流れがあったんですね。


はい。そんな流れで大阪文学学校へ行くことになったんです。ただ、当時は子どもがまだ小さくて、文学学校の長い授業時間を通うには難しく、すぐには行けませんでした。初めは、別のカルチャースクールに1年間通いました。


先生がおじいちゃんなんですけど、唾を飛ばしながら「絶対に書き続けてくださいよ」って。その言葉がすごく胸にきました。 その後、かなり書けないと行ってはならないという怖い噂もありましたが、やっぱり大阪文学学校に行こうと決めて、入りました。 



ーどれくらい通っておられたんですか?

41歳から49歳まで、8年間通いました。 半年更新で、一応4年で修了なんですが、すごく好きやったから、「学友」という学費が半額で継続できる制度があって、修了後にプラス4年続けました。学校には、小説家の先生がいて、生徒は15人から20人が、狭いワンルームくらいの広さの部屋に机を囲む形で集まるんです。


そこでは、自由なテーマで小説を書きます。初めは原稿用紙15枚から、慣れてきたら30枚程度の作品を書きます。その作品を順番に発表して講評をもらいます。発表の1週間前に作品のコピーを全員に配っておき、それを受け取った人が読み込んできて、発表当日に「ここはこう思う」「こうした方がいい」ということを一人ずつ言っていく。


最後に先生が講評をくれるんです。それを、ずっと繰り返します。それが、すごく好きなんです。 



ー 聞いていたら、気が遠くなりそうです。


私ぐらいかもしれません。全員の意見をしっかり書き込んでいたのは。今から振り返ったら、好きやってんなぁ、と思います。ほぼ毎週、学校があって、3ヶ月に1回、半年間で2回は、自分も書く番が回ってくるので、書いて、出して、読んでを繰り返すんです。


そこでも、ありがたいことに評価していただきました。 2年目には、子ども時代の体験を元に創作した、90枚の作品を書いて、大阪女性文芸賞に出しました。最終選考の5人には残れなかったけど、ベスト8に入り、先生が悔しそうに涙を浮かべておられました。でも、私はそれも、やっぱりなんか、ピンとこなくて、分からんのです。「すごいことよ」って言われて、「はぁ」みたいな。 



ーそこでも書けるんだという実感が湧かなかったのは、なぜだったんでしょうか。


先生方は感性で教えるので、理論がまったく分からんかったんです。何が良いのか、どうすれば良くなるのかが掴めない。 先生方は芥川賞候補やプロの作家が多く、「ここ、いいね」「ここ、味があるね」と言われたり、指摘された部分を削ると確かに良くなる。


理屈じゃなく、体で「こうしたらいいんや」って覚える感じです。でも、実際のところ「私はどうしたらいいのか」が分からなかった。 



ー掴めるような、掴めないような、と。 


でも、ある時「20代の頃に学んでいた心理学をもう一度学ぼう」と思い、上野大照さんのもとでブリーフセラピーを勉強しました。すると、それが小説の構造や行間の感覚と驚くほどリンクしていることに気づきました。 


ブリーフセラピーの基盤には、催眠療法家ミルトン・エリクソンや人類学者グレゴリー・ベイトソンの考え方があります。彼らの対話法や余白の感覚が、日本語や小説の「行間」ととても似ていて震えました。 


さらに、ロゴセラピーという、強制収容所の体験から生まれたフランクル博士の思想も、小説家たちの根本意識と重なるなと感じたんです。今まで掴めなかったものが、点と点で結ばれるように、全部がつながっていきました。これはおもろいなぁと。 


書くことから逃げて辿り着いた文章講座と書くことの意味


実際に、今やっている文章講座を開いたのは10年くらい前になります。それも、やっぱりきっかけがあるんです。文学学校に通って10年ほど経ち、「そろそろ抜け時かな」と思った頃に、この部屋を借りてアロマ教室を開こうと考えました。 


小説を書くのが嫌で、逃げて逃げて、他のことを勉強している間に取った資格が、アロマのインストラクターだったんです。



ー個人事業はアロマ教室がスタートだった。


はい。ところが、その3ヶ月後、上野大照さんのイベントに「ふみちゃん、小説の技術と心理学が繋がるってよく言ってるから、30分で発表してみませんか?」と声をかけてもらいました。 試しにテキストを作って話したら、大きな反響があり、「講座としてこの部屋でやってください」という声をいただいたんです。 


これが、今の文章講座の始まりです。



ー小説家さんの感性でなんとなく書くところを、構造化されたような講座。 


初めは、ほんの一部ですが叩かれたこともありました。知らない人からコメントで「こういうのは体で覚えるものなのに、何をしてくれてるんですか」って。先にそんな技術を教えられたら困る、という内容でした。


私も、いいんかな? と思いながら、思考錯誤でやっていました。 最初は友達だけの小さな講座でしたが、くちコミで広まり、10年間続きました。 



ー小説から逃げたとおっしゃっていましたが、今も含めて、小説家になろうという気持ちはあったのでしょうか? 


当時はありました。「書ける」ということが少しずつ分かってきて、4年目くらいに新人賞に初めて作品を出しました。 新人賞は大体2000人ほどの応募があって、一次選考には100〜200人くらいしか残らないんです。そこに入ったんですね。


小説家の予備候補に入ったような位置付けです。 その時、元編集長の友達から「もう絶対、やめちゃいかん」と手紙をもらいました。何度目かの手紙には「年やねんから、もうちょっと急いで」と書かれていて(笑)。 



ーそこで、目指し始めた。 


そうです。ちょっと希望が見えてきて、自分の作品が受賞して本になったらいいなと憧れました。初めは「小説家になれたらいいな」いうミーハーな気持ちでした。でも、段々とに分かってきたんです。《小説家を目指した人は小説家にはなれない》と。 


小説家たちは、デビューまでに途方もない量を書いていて、平均で原稿用紙1万枚。300枚の長編小説を平均30作品、デビューまでに書いてる人たちが、小説家たちなんですね。しかも、その段階では人に読ませてはいけない。


ネットに上げるのも、本にするのもダメで、ほとんどが段ボール行きだそうです。 そういう人たちが受賞してるのだということが分かったんです。すごいなと思いました。それに、天才的な文章を読んで「私は中途半端やな」とも思いました。


でも、可能性がゼロではないところに立っているのも確か。そんな中で、この10年で分かってきたのは、《小説家になることよりも、小説を書くことの方が尊い》ということでした。  



書くことで触れられる人類愛の世界


小説家たちは、やっぱり書くことを楽しんではると思うんです。「もっといい作品を書きたい」って。小説家であること自体には、全然興味がない。それを聞いて、改めて私も「良い作品を書きたい」と思ったんです。



ー書くということがどんなものなのか、本質の部分のように感じます。


楽しくなければ、こんなしんどいことは続けられない。意味でも、私は書くことは楽しいと感じています。でも、それは同時に苦しいことでもあります。文学学校時代も苦しかった。 それなのに、あの頃「北の国から」の続編をあんなに夢中で書けたのは、色々知らなかったからかもしれません。型もルールも知らず、ただ自由に書いていたから。



ー苦しいけど、でも、書くんですよね。何がそうさせてるんですか。 


作家たちがなぜ書くのか、それと繋がると思います。30枚の原稿を書いていると、ある世界に入るんです。100枚書くと、さらに深くその世界に入る。 なんというか、自分のセルフというのかな、自分の「核」みたいなものと繋がる瞬間があります。しばらくその世界で生きていられる。


言うのも恥ずかしいけど、愛に溢れてるんですね。その時、本当に世の中の全人類を応援するような気持ちになっているんです。小説の根本というのはそういう部分なんだと思っています。 ー人類愛につながる世界。 普段の私は、そこまで大きなことを考えてはいないし、自分の周りの幸せぐらいしか思ってません。


でも、書くときだけは、ある種の催眠状態に入って、人類愛みたいな感覚に触れられる。 小説だったら、勝手に作品が動き出す感じです。書いていると、映像が見えてきて、登場人物が自然に行動していく。私は、ただ、それを眺めて、追いかけて書く。初めて観るドラマを、そのまま書き取るような感覚です。


あの時が、最高に楽しいです。でも、そこを目的地にして書こうとすると、苦しくなるんです。 



ーその世界をゴールにすると途端に苦しくなる。


そうなんです。行こうと思って行ける場所でもないんです。30枚なら、最後の方にようやく訪れる。それが、プロの作家さんたちは、書き始めた瞬間からその世界に入れるそうで、そりゃ楽しいだろうなぁと思います。



ー苦しくても、書く先に感じられる体験を知っている。その喜びがあるからこそ、なんですね。


はい。生徒さんも今、5枚くらい書いて頑張ってはります。まだその世界に、ほんの少し触れる感じです。今、ちょうど研究クラスでは長編に取り組み始めたところです。 



自分に託された『書くこと』を伝えること 


ーご自身は、その喜びがあって書いてらっしゃる。でも、人にも伝えようと思うのはなぜなんでしょうか。


何故なんでしょうか。そうですね。私がこの講座を始めようと思った大きな理由は、まず、世の中の集客文章がおかしいと思ったからです。心理学を学んだことで、文章に潜む心理操作がよく見えるようになりました。 そういう操作的な文章は、書いている人自身も病んでしまうのではと思います。


それを知らずに、大金を払って学び、必死で書いている人を見ると、気の毒で。「それは違うよ」と伝えたくなったのが、講座を開いた動機のひとつです。



ー世の中の動きに興味がある。


はい。それは、この5年間で気がついたことです。意外と私は、世の中のことに興味があるようです。日本文化や伝統にも無意識に関心があったのかもしれません。 文章講座を始めて3年目ぐらいに、なんで私は文章講座してんのやろう、と思っていました。


でも、講座が始まると、持ってる力の全部使い果たすぐらい本気になってしまいます。何とも説明できないんですが、途中から託された感じがありました。



ー託された感じ、ですか。


傲りもあるのかもしれないんですが、世の中でこれを教えてる人は、多分いないし、何か託されたように感じて。これは、私の魂が望んでいるのかもしれないと、分からないのですが、何となく、そうも感じています。 


私も色々な人を見てきました。小説家の先生方は書ける人で、アーティストなんですね。分からない人には、全然分からないわけです。 学校では、書けないと「とにかく本を読みなさい」「体で覚えなさい」と教わりますが、うまく書けない人は、書けないままなんです。 



ーお話を聞いていると、教えておられるのは、小説の書き方だけではなく、書くことの本質部分に触れている感じがします。


最近、私もそう思うようになりました。生徒さんの多くが、「書くことで癒された」「自分と向き合えた」と言ってくださいます。 それは、私の力というより、文章そのものの力なんだと思います。私自身は軽くて、「こう書けば、いいね! が増えるよ」と札を渡すだけ、みたいなものです。


そうしたら、自然に、その人と文章が融合して、それで気づきが起こるんやと思うんです。その反応を見て、「あぁ、高校時代の自分も同じだったな」と気づかされます。 ー書きながら自分を内観したり、癒したりしていた。 多分なんか、無意識にやってたことが。 



Memento Mori

Memento Mori は、「わたしたちはどう生きたいのか、どう死にたいのか」十人十色の「自分」という存在の美しさ、「いのち」がある今の喜びを探求し表現するための情報をお届けするメディアです。 自分とまわりの環境とのつながりの中で、安寧を感じ幸福な状態を指すスピリチュアル・ウェルビーイング思想を基軸として、答えのない問いから一人ひとり違う生き方を見つめるヒントをお届けします。