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「しないといけない」ではなく、「私はこれにしよう」と決める
現代社会で生きる中で、自分に合わせるのではなく、世間に合わせてしまう人が多いと言われています。でも、2・6・2の法則という、2割には好かれ、2割に嫌われ、6割はどちらでもないという法則があるんです。そう考えると、自分を曲げて気を遣っているのに、2割の人に嫌われるって嫌じゃないですか?私には「ありえないな」って。
私は、それなら「自分のそのままの姿を嫌われた方が気持ちがいい」って思うんです。
ー何をしても、嫌われる人には嫌われますからね。
そうそう。だから、嫌われる人には嫌われても、好きな人たちと過ごしたら良いだけの話なんです。
ーただ、なえかさんは自分は自分という軸がありながらも、「人と一緒に活動する」ことがベースにありますよね。どのように人と関わっておられるんでしょうか?
「人と一緒にお仕事する」は、確かにあるかもしれません。でも、私はやっぱり人に合わせることが苦手です。以前、とある団体に1年間所属したことがありました。その団体で済州島に行ったんですが、その時に改めてそう思ったんですよ。
というのも、私は自分が行きたい場所があったら、すぐに行ってしまう人なんですよね。ただ、「どうしても行きたいから」って集団から外れて単独行動をしたら、「自分勝手」になりますよね。しかも、団体で動く際は宿泊先のホテルも決められていて自分で選べないでしょう。
だから、そんな時は、私は初めから「たまたま済州島に用事があるので、別で行っています」と言っておくんです。「ご飯やイベントだけ参加させてもらいます」と事前にお話して、用事はないけれど、2日前くらいに前入りします。
ー自分のやりたい気持ちをすぐ抑えるのではなく、自分勝手にするのでもなく、周りに配慮しながら、どうしたらできるかを考えて。
はい。そうすると、不思議と誰からも不満が出ないんですよね。そもそもの認識が、外から参加している人になっていますから。そんな風に団体で動く場合には、もともと外の人というスタンスを取るようにすることが多いです。
ーなるほど。なえかさん流のお付き合いの仕方。団体での活動に参加されることも多そうですよね。
そうですね。市のPTAにも入って活動していた時期が3年くらいありました。色々な市のイベントをする際に本部としてどんなことをしていくかという話し合いを経て、企画運営するんです。個人事業主の方や会社の社長さんたちと一緒にできたので、面白かったですよ。
それに、PTAの他にも、自治会や子ども会の会長もやっていました。
ー想像以上に積極的に参加されていますが、どうやって時間をつくっていたのですか?
その年は、1年間ボランティアの年にしようと決めたんです。会社もスタッフに任せてるし、来るもの拒まずでやらせてもらいました。というのも、4人子どもがいるから、「必ずいつかやる」ことは決まってるわけで、それなら、一時期にまとめて受けようと思ったんです。
だから、3つ同時進行でしたね(笑)。
ー「自分で決めてやる」のですね。そうすると、どんな違いがあるのでしょう?
はい。その年、そういう風に決めてやってみて、自分の中で「得たもの」が大きかったです。何よりも、思いきり全力投球で活動できました。「しないといけない」ではなくて、「私はこれにしよう」だから、そこに文句や言い訳は出ないですからね。
起業の原点となったのはBARをオープンしたこと
ー後にご自身で会社を立ち上げられましたが、その原点になるような出来事があったのでしょうか?
もともと、私はずっとキャビンアテンダント(CA)になりたかったんですが、日本では身長の条件で無理だったんです。でも、カナダの会社だったらCAになれると知って、とりあえずカナダに行くことにしました。
それには、留学資金を貯めないといけないでしょう。 だから、当時、舞妓さんの格好で旅館の入り口で挨拶をしたり、一緒に写真を撮ったりする「偽舞妓」のバイトや、キャンペーンガールのバイトもしました。
さらに、当時もう一つバイトをしていたBARがあったんですが、そこの雇われ店長が同じ学生で、「俺BARをオープンしたいから、一緒にやらへん?」と誘ってくれたんですよ。「やるやる!」と返事をすると、店舗が用意されて、コンセプトも全部決めて、BARをオープンさせたんです。
ーそれは大学生の時ですか?
はい。大学生でした。だから、1年ぐらいでカナダへの留学資金を貯められて、カナダに行く前にも、オーストラリアにバックパックで回ったりもしました。
ー人気BARだったんですね。最初から手ごたえがあったのでしょうか?
「絶対、流行る」と思いました。当時、GIRLS BARはなかったけれど、そのお店のコンセプトがそれに近いものがあって、すごく良かったんです。可愛い女の子にカウンターに入ってもらって、ラウンジに行きたいけれど行けない大学生や女の子とお喋りしたい人たちに楽しんでもらえる場にしたんです。
女の子は1人だけなので、カウンターの中から出ない。それが、めちゃくちゃ流行りました。当時、大学生だったオーナーは、今では20店舗以上飲食店を経営して、大きい企業も立ち上げています。その人と一緒にBARの立ち上げをしたことが、私の起業の原点にもなっています。
ーそれが、ビジネスのきっかけに。
はい。その後、カナダに行く前に「やり残したことは何だろう」とふと思ったんですね。そうしたら、「雪かきがしてみたい」と思い浮かんだ。それで、雪の多い福井に住んで期間限定で働くことにしたんです。福井でお仕事を探し、面接に行った先がアパレルの会社でした。
アパレルのお仕事の経験は全くなかったんですが、面接ですぐ仕事が決まりました。そうしたら、「もう今日から店長でお願いします」と言われたんです。
アパレル会社の店長になったことをきっかけに、商才が開花
ー「雪かきがしたい」から店長に!
そうなんです。未経験から店長になったから、そもそも展示会が何かも分からない状態です。だから、最初は「展示会に行って、服がたくさん並んでいるから、それを選んで仕入れてくるんだよ」と教わって行きました。
そうしたら、本当に服がたくさん並んでいて「え!?これを自分で選んで買い物していいの??めっちゃ楽しいやん!」って、自分の気に入った服を一気に買いましたね。その選んだ服を持ち帰り、店舗に並べると、全部自分が気に入ってるものだから、おもしろいように売れるんですよ。そうしたら、段々と常連のお客さんに来てもらえるようにもなって。
すると、展示会に行った時に、自然とその常連のお客さんの顔が浮かぶから、そのお客さんに向けて仕入れるようになったんです。「もう絶対にあの子に似合うから、着てもらいたい!」って。
ー「その人」を思い浮かべて選ぶ、と。
はい。そうしたら、絶対そのお客さんは買ってくれるんですよね。その繰り返しをしていたら、売り上げが一気に上がりました。
でも、私はCAになりたくて、カナダに行くという目的のために期間限定と決めていたから、時期が来て辞めることになりました。そこを辞める時にね、また不思議なご縁をいただいたんですよ。親子で、常連で来てくれていたお母さんから「紹介したい社長さんがいます」と言われて。
そのご紹介でお会いしたのが天栗屋さんの社長でした。その社長から、「実はショッピングモールの中に、たこ焼き屋を立ち上げたいから、手伝ってくれへんか?」とお話があったんですね。
ーアパレルから、たこ焼き屋さんですか!確かに接客の根本は同じではあります。
そうそう。立ち上げなので、アパレルの店長の経験を活かして、レジの使い方から、実務研修を重ねました。接客も大阪のお店だから、「ありがとう」ではなく、「おおきに」にして、独自性を出すことにも力を注いで。
そんな風にお店を一緒につくっていき、オープンした当初は、たこ焼きとお好み焼き屋で、売上100万を上げたんですよ。すごいですよね。
でも、もう私は「カナダに行かなきゃいけないから」と社長に話し、カナダに飛び立ちました。今では福井で一番大きいたこ焼き屋さんになっています。だからね、社長は「なえかには足向けて寝られへん」って今でも言ってくれています。
ーまた、売り上げを上げて去る。純粋な想いからの行動の早さ、そこに全て集約されている気がします。
もう《これがいい!》を選ぶ、それだけなんです。自分の素のままで良くて、絶対飾らないし、裏表を作らない。
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