彼女の存在を初めて知ったのは、5〜6年前のFacebookライブ対談だった。ビジネスオーナーとしての考え方に触れ、「なんて素敵な人なんだろう」と強く印象に残った。
専業主婦から小さなサークルを立ち上げ、英語を教え始めた彼女。口コミが広がるにつれ、子どもたちの「学びたい」という想いに一人では応えきれなくなり、講師育成へと舵を切りながら、会社を成長させていった。
彼女の会社づくりの根底にあるのは、「良い環境で働く」というシンプルながらも揺るぎない理念。ただし、その“良い環境”とは世間一般の基準ではなく、彼女自身と、そこに関わる人々にとっての最適解を追求したものだった。
そして、その信念のもとに創り上げた世界は、確かな成果を生み出している。 では、彼女が放つ“絶対的な安心感”の源とは何なのか。 自由自在に生きる彼女の姿から、《幸せに自分を生きる》ためのヒントを探っていきたい。
(取材/はぎのあきこ)
海外に対して壁がなくなる「経験重視」の自由な家庭環境
ーなえかさんは、専業主婦から起業されたんでしたよね。
そうです。元々、私は会社では働けないっていう自負がありました。「この時間からこの時間まで、ここに居なさい」ということ自体が苦痛だったんですよね。
ーじゃあ、子ども時代はどう過ごされていたんですか?
3歳くらいの時に両親が離婚をして、父が養育費をずっと払ってくれていたんです。でも、うちの母は「そんな養育費なんてもらって、生活費になんか使ったら女が廃る!」と言っていたんですよ。だから、「絶対に経験にお金を使った方が良い」という教育方針のもと、養育費は全部、海外旅行に当てられました。
学校を休んで海外にたくさん連れて行ってもらいました。そのお陰もあって、海外に対して本当に壁がないんです。私にとって、日本の北海道に行くのと、海外に行くのとでは、そう変わらない感覚なんですよ。
ーそうなんですね。そのお父さんが送ってくれていた養育費から、海外に触れる経験が始まった、と。
そうですね。それもありますが、、、中学2年生の夏休みのある日、母から突然「〇日から〇日まで、オーストラリアに行くことに決まったから」と言われて。ホームステイに行くことになったんです。
ーえっ?突然ですか?
そうなんです。突然です。中学2年生ではじめて親と離れて海外に行くことになりました。でも、それだけでは終わらなかったんですよね。というのも、その告知の後しばらくして、母からホームステイ先へのお土産にと、わかめや海苔、お餅とか色々渡されたんですね。
そうしたら、「これ(お土産)を入国する時に全部説明できなかったら、日本に帰されるかもしれないから、ちゃんと説明できるようにしときや」って言われたんです。「英語頑張ってな!」みたいな軽い感じでね。 私としては、知らない土地で、どこまで聞かれるのかもさっぱり分からないから、大変ですよ。
どうやって食べるのかとか、何のためのものかとか、全部英語で答えられるように必死で勉強しました。今思えば、それこそが本当の《自学》だったんだなと思います。
ー必要に迫られて必死に英語を勉強することに(笑)。お母さんにその「自学」の意図はあったのでしょうか?
いや、ないと思う(笑)。
ー想像を超えるデフォルトですね。お母さまも自由でいらっしゃる。
そうなんです。母が自由だったから、私も自由をたくさんもらっていたことは間違いないです。
「気づいたときに、変えていったらいいやん」教育環境も子育ても
ーお母さんは、今ロンドンで暮らされているとお伺いしましたが、お仕事をされているんですか?
母は50歳頃から、3ヶ月働いて1ヶ月旅するという生活をずっとしていました。「石垣島に行きたいな」と思えば、本当に石垣島での仕事を2週間分まとめて取ってきて、行くんです。だいたい午前中で仕事が終わるから、午後は全部観光みたいな時間があるみたいで。
ーまるでバックパッカーのように、仕事をしている感じですね。
そうそう。しかも、「2週間じゃ足りなかったから、もう1回行ってくるわ」と、4回ぐらい繰り返していたことがあります。今回のロンドンは、仕事は1つだけオンラインでできるものをやっていましたが、ほぼ年金だけで行きました。
ーなえかさんがお母さんから自由をもらっていたなと感じたエピソードを教えてください。
高校生の時に「夜中オールでカラオケに行きたい」と言った時、友達は親から反対されて参加できない子が多かったんです。でも、うちのママは反対はしない。「わかった」と言って、「その場所まで送っていくから、帰る時は必ず連絡してな」と一番安全な方法をとってサポートしてくれました。
ーなえかさんの自由を尊重しながら、考えておられたんですね。
はい。自由にしてもいいけれど、安全だけは守りたいからと言っていました。今思えば、母が最初に「これがいい」を体現させてくれる環境を与えてくれていましたね。結局、それって子どもへと連鎖するんですよ。
でも、だからといって環境が悪いからだめなのかと言えば、そうではないと思っています。教育環境、子育て環境って「気づいたときに、変えていったらいいやん」とも思っていて、いつからでも選び直せるんですよね。
ー確かに。お母さんが自由で楽しいと、子どもも安心して自由になれますね。
本当にそうなんです。でも、やっぱり私も子育てをしていて「その母の血を引いてるな」とも思います。私も、前の夫と離婚してからシングルで8年間、4人の子どもを育てていたんです。 その時、母と同じように子ども4人(当時、3歳、6歳、8歳、10歳)を連れて、多い時は月1回のペースで海外へ行っていました。
2週間から1ヶ月の滞在になるので、現地の学校に交渉して、子どもたちを受け入れてもらっていました。 もちろん、仕事の時は、子どもたちを日本に置いていく時もありましたが、一緒に行く時は、向こうにいる友達に家を探してもらい一軒家を借りて、お手伝いさんを一人つけてもらって滞在していました。
ーじゃあ、日本と海外と半々くらいだったんですか?
そんな時期もありましたね。最初にお話しましたけれど、本当に、海外とは壁がなくて、ドゥマゲッティというセブ島に隣接した島とご縁がつながり、頻繁に行き来していました。その滞在中に、長男がそこでの暮らしを気に入って「ここに残りたい」と言い出して、彼が中学2年生からしばらく向こうに住んでいたこともありました。
ー選択肢が多いし、発想が自由ですね。
そうなんですかね。だから、子どもたちもみんな、自分の道を勝手に見つけてきます。
奇跡は、子どもの「これがいい」の先にしかない
ーなえかさんは、教育関係にずっと携わっておられて、子育てについての発信もされていますよね。その根底にある大事な部分は何なんでしょうか。
やっぱり子どもたち自身に《選択させる》と《それを信じて見守る》、《応援する》かなと私は思います。
ー見守るって、なかなかできないことが多いかと思いますが、どんな風にお子さんに関わっておられますか?
中学2年生の時に、私は何を考えていたかを振り返ると、自分自身のことを「私は大丈夫!」と思っていたんですね。そうしたら、「この子もきっと同じように思っているはずじゃないかな」と思うんですよ。 自分を信じて選び進んだ先で、親が下手に口出しをしたら道がずれてしまうんです。
だから、私自身の経験から、自分の考えを伝えることもありますが、《世間一般と比べて何かを言うことはしない》と決めています。 やっぱり親子はどうしても密接な関係にあるので、周囲からも親子関係の相談は結構ありますし、子どもの悩みや親の悩み等、いろいろあります。それに対して私は「それは自分の鏡やで」とお話してます。
結局、奇跡を起こすのは、その子自身の「これがいい!」の先にしかないと思うんです。何よりも、「自分が決めた道を真っ直ぐ進んでいくといいことがあるんだ」とか、「奇跡が起きるんだ」とかをその子自身が実感して《成功体験を積んでいく》過程を辿っているんです。
ーそうすると、ズレないんですね。
ズレない。世間からの無言の圧力によって「やっぱり違うかもしれない」と自分の真っ直ぐな道から逸れてしまうのではなく、それをひたすら純粋に突き進んでいるイメージなんです。
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