【第2回/遠藤エル】自分らしく生きるためのメソッド開発者が自身の半生で語る“自分を愛する”とは?



「それって本当に俺が言っているのか?」って話なんですよ


―「本当の自分って何なんだろう?」って、本当の自分を探している時ってなんかちょっと見失っちゃったり、迷っちゃったりすると思うんです。エルさんはどうでしたか? 


いっぱいあったと思う。僕の中で、《本当の自分》じゃないものは何?って言ったら、《自分の中にいるのに自分じゃない何かがある感じ》がするもの。こびりついている何かが自分の中にある感じ。


真っ裸の自分っていうのがいるとして、それに何か、自分じゃない何かが、こびりついてるな。それがあることが嫌で、それを剥がして剥がして・・・剥がせた時に、本当の自分がいるんじゃないかっていう感覚なの。


―エルさんは、これまでどんな《自分じゃないもの》を剥がしてきたんでしょう。


いろんなものがあるし、今も剥がし続けてるんだと思うんですけど・・・一番大きいのはやっぱり父親ですね。父親という存在は、同じ空間にはいなくて離れて暮らしていても、ずっと僕の中にいる。それが結構heavyに僕にこびりついてると思う。 


―どんなふうに剥がしたんですか?気づいたきっかけってあります?


さっき話した、僕の音楽の活動をとても反対していたのが父ですよ。その時は若くて、「僕は音楽で食っていきます!」ってことを宣言して家を出るわけですけど、「お前ぐらいの才能じゃうまくいかないよ。」って言われてきたんですよね。父は、僕の創るものを否定してきた。聴いたこともないくせに。


僕のこと何も知らないくせにね。「音楽で食っていくなんて、芸事で食っていくなんて無理だよ。」とか。芸で食ったことがないのに言うわけ。


だけど、僕は音楽を活動していて、ふと自信がなくなった時とかに、「やっぱりお父さんが言ってたことが正しかったのかもしれない。」「やっぱり、僕は間違った選択をした。やっぱり、才能がないのかもしれない。」って気持ちが湧いてくるんです。それが、こびりついているもの。


僕自身、トラブルが起きたり、うまい方向に行かず停滞していたり、それらが積み重なってくると、自分が人生に焦って、わーってなった時期があって。パニックになっている時の自分って、自分のこと冷静に見れないじゃない?


でも、冷静、客観的に見ると、結構うまくいってるし、努力もしててそこまで何か悩むほどのことある??って言われるような状態なんです。僕の中では「これじゃ努力じゃないし、これじゃうまくいってることにならない。」って言っている自分がいるんですよね。


だけど、「それって本当に俺が言っているのか?」って話なんですよ。そうすると、本当の自分っていうのが少し見えてくるというか。僕の中に何か違うものがあるぞっていうのに気づけるんですよね。


―冷静になったときに自分の中の違和感に気づいたんですね。


そう。こうやって実際に、《僕は親父とのことを思い出している》って自分で自覚できるようになった。やっぱりたどり着くところは、ここじゃないかなって思います。みんな自分として生きてるんだけど、何か違和感がある。


「何かが違う」と思うと、それは時に、「逃げてるだけなのかもしれない」と自分を責める方向に行く場合もあるんだけど、なんかその責めてることが、「正解な感じもしない」みたいな。こういう繊細な感覚ですよね。



僕が愛してるからこそ、この人を愛したい


―エルさんは、人に伝えるっていうことを真摯にされてきたからこそ、そういう感覚の部分を言語化されるのがすごくお上手で、とても分かりやすく人にお伝えされてますよね。


それはなぜかって言うと、一つは、自分の中で自分の頭を納得させたいから。結局、自分が納得しないと動けないじゃないですか。自分が分かるように、腑に落とすために自分の言葉に変えてあげないと。必死だもん!


あともう一つ、別の側面があると思うんだよね。《誰かに自分のことを知ってほしい》んですよ、僕はきっと。これは、勝手に紐付けてるだけかもしれないけど、僕は愛情にすごく枯渇していたんだよね。だから、自分に注目してもらいたいし、自分に愛を注いで欲しい。そうすると、人に《自分のことを分かって欲しい》っていう気持ちが強い訳だよね。


でも、人って、言葉にしないと分かんねえじゃん!分かってくれねえじゃん!感じ取れる人もいるかもしれないけど、ほとんどの人は、言葉で伝えないと伝わらない。しかも、その伝え方によって、理解されるかされないかって決まっちゃうでしょ。


だとしたら、僕は伝えたいし、振り向いて欲しい。だから、その自分の欲求を満たすためにも、伝えたい人には、伝わるように努力したっていうのはあると思う。


―自分を大事にしたいっていう根本は一緒ですね。


そうそう、自分の望んでいるものを自分に持ってきてあげたい。愛って誰かに与えるものっていう意識の方が一般的じゃないですか。でも、他人への愛って、自分への愛と比べたら到底・・・浅い。要するに、大前提として、まず自分が愛したいって気持ちも湧いてないのに、とにかく「この人のために尽くしたい」っていうような愛は、僕の中にはない。


《自分が愛したい人だから、愛する》という前提が僕の愛。《僕が愛してるからこそ、この人を愛したい》って。この前提がないと、そこまで魂が動かない。


それに、僕という人間が伝えられることっていうのは限られているので。自分ということを知っていくと、できないことと、できることってあるわけですよね。相手の望みに気づいたとしても、僕ができないことはやらない。そのスタンス姿勢だけは絶対に崩さない。崩すと、自分じゃなくなっちゃうので。


―今までの人生で自分じゃなくなっちゃった経験って?


たくさんありますよ。組織の中で働いたこともあるので、自分もクソもない!っていうこともたくさんあるわけです。でも、その繰り返しがあって、自分をたくさん失くしたからこそ、自分をもう二度と離さないぞ!っていう想いが強くなると思うんですよ。


―良い悪いではなくて、それをそのままにしていく人もいれば、それを糧として、「自分ってなんだろう?」って問いを立てていく人もいる。それって何が違うんでしょう?


なんだろうな。必死さじゃないですか。自分というものを失っていくと、自分でありながらも、自分じゃない感覚というか。


自分を失っている人って、自分でいろんなことが決断できなくなっている人だと思うんですよ。その状態に対して、危機感を感じるか感じないかっていう差だと思っていて、僕は幼少期の積み重ねから、それをしていくと自分が死ぬっていう危機感がすごいあるんだと思うんです。死にたくなければ立ち向かうしかないんだよね。だから必死。その差だと思う。


そこまで感じなくても幸せに生きているんだったら、「別に考えなくていいんじゃない?」っていう風に思う。僕はそうじゃないといけなかっただけだから、それが素晴らしいことでも何でもなく、ただ、「そうだった」。


そりゃ大きな組織で主張したり、意見を言ったりするのは、ものすごく怖いですよ。でも、葛藤をしながらも、何週間も、何ヶ月もじわじわと悩みながら、最終的には絶対やってきたなって思います。肉体的には生きていても、自分が壊れる前に、自分で何とかするしかないから立ち上がってきたんです。



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