前回記事はコチラ→『「胸が小さい」コンプレックスから申し訳なさを感じてきた』
裸になって気づいた外側から貼り付けていた自信という鎧
ー自分に誇りをもっている方は、自分で自分の責任をとること、自分の人生を生きることの意味を体験的に知っているように思います。
私も痛感しています。これまでの自分は、「あなたが良ければそれでいいよ」と聞こえはいいのですが、決断を他人に任せて、自分で責任を取ってこなかったなと思えてなりません。それは、ある方とお話した時に気づいたことです。
私は「旦那さんが嫌がるから」と自分の仕事や活動のことを隠していたことがあったんです。そのことをお話していたら「自分がやってることや言うことに責任を持った方がいい」とその方から言われました。その時、はじめて「責任を取る」という言葉の意味が腑に落ちた感覚でした。
ーパートナーとの関係も含め、何かご自身が変わろうとされている、と。
はい。若い頃は、クリエイティブな職に就いていることや音楽活動をしていることが自分の自信になっていたんです。でも、それは内側からの自信ではなく、外側に張り付けた自信でした。自信という鎧を着ていたんですね。
子どもを産み、仕事を辞めて専業主婦になった時に、その外側の自信が全部バリバリって剥がれ落ちたんです。もう仕事もしていないし、音楽活動も制作活動もしていない、「ただの私」という「裸の私」になって。 その時、「私って何で生きているの?」となってしまった。
ー生きる意味が分からなくなった。
はい。その頃、小さい子が2人いる中で旦那さんにいつも怒られていたり、親族の関係もかなり悪化していました。国内外に毎年引っ越している時期でもあり、周りに友達も親もいなくて、心身ともにボロボロになって「もう消えたい」って。
それまで外から貼り付けて保っていた自信が剥がれると、何もなくなってしまったんです。でも、3人目を妊娠したとき「なんとかしなきゃダメだ」と一念発起して、心の勉強を始めました。
ー自分を変えるために。
そうです。日常で湧き出てくる激しい感情を受け止めながら、心の勉強とともに瞑想を4年続けました。そうしたら《どんな自分でも、この世界に一色しかないギフトで、大切な存在なんだ》ということに辿り着いたんです。
どんなに不甲斐なくて、凸凹でキレイな丸じゃない自分でも、みんなの凸凹を持ち寄って、みんなでカラフルでキレイな丸になればいいんだと。
ーみんなで丸になればいい。すごい変化ですね。
そうそう。子育ても変わりました。以前はすごく「こだわり」があり、「こうせねばならない」とすごく頑なで盲目的にシュタイナー教育をやっていたんです。でも、その必要もないなとふと気づいて。 「子ども達は、子ども達で自分の人生を歩んでゆける」と信頼できるようになりました。どん底から何とかゼロ地点まで這い上がったという感じです。
人と違うことに重きを置く少女〜絵を描くこととバンド活動
ー先ほどお話にあった「鎧を着ていたと気づいた」のは、後になってですか?
うすうすは気づいていたんです。でも、「バンドやってるからすごいんだもん」と、本当の自分は見ないようにしていた。見たくはなかったから。 15歳の時、バンドを組んでライブをして、音楽活動に一生懸命でした。
なんかね、お洒落な音楽がやりたかったんですよ。当時の私は《人と違うことに重きを置く少女》でした。
ーなぜ「人と違うこと」をしたかったのでしょうか?
ファッションデザイナーだった母の影響です。人と違うことをしたり、面白いものを作ったり、絵を描いたり、クリエイティブなことをすると、母は嬉しそうで、すごく褒められました。無意識だったとは思いますが、それが母の評価基準だったんです。 私が生まれたときに母は仕事をやめました。
だから、そのクリエイティブな情熱を子育てに向けるしかなかったのではないかと思うんです。私が子どもたちにそうしていたのと全く同じ状況なんですよね。
ー子どもの頃から絵を描いていたのですね。
はい。母に連れられて習いに行っていました。絵を描くのが好きだったし、褒められるのが何より嬉しくて。ただ、母が言う「普通」という言葉は、価値がないと言っているように聞こえたんです。 テレビを見てる時も「何や、この子普通やわ」って。でも、「男の人は、普通の女の子が好きなんや」とも言っていましたね。それも、何度も。
ー「人と違うこと」への価値がそんな日常の言葉から高まっていった。
はい。私には下に弟と妹がいます。だから、「ほら、私こんなに変わったことしてる」と母に振り向いてほしかったんですよ。結局、それで振り向いてくれることはあまりなかったんですけど。 でも、自分の奥深いところに《人と違うことが大事》という価値観だけは根強く残っています。
だから、10代になってからもずっとその原動力でバンドをやったり、作品を作ったり、美大に通ったりしました。 これは、私の中の男の子がお母さんに振り向いてほしくて、一生懸命変わったことをしている感覚なんです。当時、好んで聴いていた音楽も周りの子とは少し違っていましたし。
大人っぽくてお洒落なバンドがしたいと、15歳でブラジルのバサノバっぽいポップスとか、ジャズっぽいポップスとか、そんな音楽を主軸にバンドを結成しました。
ー15歳でそんなジャンルの音楽活動をしている子は、確かになかなかいないかもしれません。
15歳の時に自ら集めたメンバーで、そのベースが旦那さんです。5年間、そのバンドで活動して、引っ越しを機に解散しました。その後も旦那さんと2人で続けていたんですが、出産を機に完全に活動を停止することになりました。
《男性に受け入れられない不完全な女性である自分》を原動力に
ーお母さんに振り向いて欲しかった男の子は、今どうしたら喜ぶのでしょうか?
クリエイティブな活動をしていけたら、自分の中にいる「男の子」が目立って活動することで満たされて、大人しくしてないと男性に受け入れられないと思ってる「女の子」にも「そのままで素敵だよ」と言ってあげられる気がします。 そう言ってあげたいというのが、この活動なんだと思います。
ー今されている活動がご自身へのメッセージでもあるんですね。
そうですね。父に対しての想いと、母に対しての想いが交差しています。世の中の女性に発信したいと言いましたが、実際はかなり男性を意識しているんですよね。男性に対する反抗心だったり、逆に男性に受け入れられたいという渇望だったり、それも活動の原動力になっているのかなと思います。
だから、本当は男性に訴えたい欲求もあるのかもしれないですね。でも、あまりそこにフォーカスし過ぎると、攻撃的な表現になりそうで、それは違うかなとも感じます。 やっぱり《男性に受け入れられない不完全な女性である自分》というのが中心にあり、それが原動力なんです。
その自分に「そのままで素敵だよ」と言ってあげたい。自己完結なんですよね。
ー正直な想いには強い力がありますよね。
母も子育て中は、家族がバラバラになるからと自分の想いは、あまり出さないようにしていましたが、今では父の反対を猛烈に受けながらも、自宅で好きに店を始めて自己表現しています笑。だから、私もその背中を追っています。
ヌードというタブーを壊す、小さな革命の「共犯者」になってほしい
ー現在「女性のヌードを描く」活動をお仕事としてされていますが、改めて、どんな方に届けたいですか?
自分ではあまり見てこなかった深い部分を見て「自分に向き合いたい」と思っている方に来ていただきたいです。
ーこの活動はプロジェクト活動としてされていると伺いました。
はい。《NUiDE “This is Me”プロジェクト》として、「モデルさんも一緒に社会に発信していきましょう」と、個別に提供する価値の先に、《一緒に創る》というイメージがあります。 プロジェクトとして、「共犯者」になってほしい。
ーお客さんが「共犯者」。面白い!独特な感性ですね。
「ヌード」はタブーからの《小さな革命》なんです。その小さな革命の共犯者になって!と。
ー素敵なコンセプト。それに、"NUiDE"というネーミングがかわいいですね。
"NUiDE"というのは、最初、SNSで発信するときに"nude"と英語で書くと、ほとんどがバンされたんですよね。特にTikTokは厳しくて、nudeと書いただけで、すぐバンだったと思います。 それで、"nude"はあんまり使わない方がいいなと思って。
「ヌード」で検索すると、ブラウザが肌色のモザイクで埋まるほど男性向けのコンテンツばかりでした。だから、その真ん中に"i"だけ小文字にして入れて、"NUiDE"にしました。 NUDEの真ん中に「アイ」がある。私の"I"でもあるし、ラブの愛でもあります。これは、お友達が意味を後付けしてくれました。
ー素敵ですね。そういう意味だったんだ。
お客さんの自分の思いや内面が表現されるということは、そこからまた違う自分になるわけです。普通に生きていて、自分の話をする機会など大人になれば本当にないですからね。
自分の深い場所に入り、人生のストーリーを眺め、形になる
ママ友同士の会話って、自分の話ではなく子どもの話ばかりで、しかも「◯◯ちゃんママ」と呼ばれるんです。自分たちの素性が全然分からないで話をしている感覚に違和感を感じることがあります。自分がスケルトンになった感じ。 ある程度みんな仮面を着けて生きていますよね。
ママモードの服を着ている人という感じで。でも、それが板につきすぎると、その服自体が自分自身だと思ってしまいます。それが、自分のアイデンティティになってしまうんです。
ーなるほど。仮面を自分だと思い込んでしまう、と。
だからこそ、たまには心の服を脱いで、自分と話をして「自分はこういうの嫌なんだ」とか、「あの時のお母さん嫌だった」とか、そういう自分の深い部分にある気持ちを感じる機会になったらいいなと思うんです。
人生のお話を聞いて形にするのは、その場面場面で「どんな気持ちだったんだろう」と想像して聞き、第三者である私がアウトプットできるレベルまで共有する作業だと思っています。記事という形ができてから、改めて見ていただくと、「ちょっと違うな」もあります。
でも、それを修正するやりとりや作業も、「自分を愛する作業だった」と言ってくれたお客さんがいました。自分の人生を改めて見て、浮かべてみて、ちょっとしたニュアンスの違いに気づき、またそれを形にする大事な作業なんですよね。
ー外側から自分の人生のストーリーを見ることができるのですね。
そうなんです。
ーお客さんの絵と人生のストーリーはInstagramに載せているのですか?
はい。Instagramやホームページに掲載しています。それから、1冊の小さな冊子を作ってお渡ししています。冊子には、その方のヌードの絵と、人生のストーリーを載せています。
ー(見せていただいて)かわいい。この冊子をもらったらすごく嬉しいでしょうね。
喜んでいただけると、私も嬉しいです。将来的には個展を開く予定です。その時に、この冊子はすべての絵に紐でつけておきたいと思っています。
取材後記
自分の内面を赤裸々に語ってくれた彼女。その言葉の一つひとつから、自身の身体に対するコンプレックスや葛藤と向き合ってきた深い経験が伝わってきた。同じように、自分の身体や心に悩みを抱えた女性は少なくないだろう。繊細でデリケートな部分をさらけ出すことには、しばしば「怖さ」が伴う。しかし、彼女はその「怖さ」と向きあってきた。
結婚や出産を経て、彼女のアイデンティティの核だった「クリエイティブな自分」を感じられなくなり、生きる意味や自己価値を見失った時期があったという。その中で彼女は、自分の心の奥底にいる「小さな子ども」と対話を繰り返しながら、裸=ヌードの自分を見つめ直してきた。 彼女が人のヌードを描くとき、それは他者だけでなく、自分自身もヌードになり、深く知ろうとする。その人を、自分を。
不完全であること、その中にある陰や弱さをそのまま受け入れる姿勢が、彼女の表現には滲み出ている。そしてその受容こそが、人間としての強さなのだと強く感じさせられる。 強い想いで自分のために立ち上がり、進んできた彼女だからこそ、“NUiDE”という活動を通して、多くの女性の外側だけでなく内側にも光を当てることができるのだろう。彼女自身が抱える不完全さや陰があるからこそ生まれるアートには、他にはない説得力と魅力が宿っている。
「裸の自分はどんな自分なのか?」彼女の描くヌードは、そんな問いを投げかける。自分を見つめ直し、人生を慈しみたいと思うすべての女性に、ぜひ彼女の作品とともにその「共犯者」になってほしい。
PROFILE
ひねもすこ Hine mossco
ヌードアーティスト
グラフィックデザイナー、イラストレーター歴十数年。 3姉妹のママ。
「私たちの体は、私たち自身のもの。誰のためでもなく、ただ私のままで咲いていい。」
この想いを形にするため、2021年にアートプロジェクト 「NUiDE - ‘This is me’ project」 をスタート。 ヌードというシンプルな表現を通して、女性が社会や他人の視線にしばられることなく、「私は私のままでいい」 と自信を持ち、自由に生きられる世界を描き続けている。
そう考えるようになった背景には、自分自身の経験がある。 思春期には、体のコンプレックスに悩み、自信を持てなかった。 出産後は、孤立した環境での子育てに疲れ果て、心の余裕を失っていた。 世の中では、女性の体が”誰かのためのもの”のように消費されている。 「私の体は、私のもの。」 そう胸を張って言える女性が増えたら、世界はもっと自由で、もっと美しくなるはず。
グラフィックデザイナー、イラストレーターとして、化粧品や美容、サロン、アパレルなど、女性向けブランドのクリエイティブを手がけてきた。 美しさや個性を引き出す仕事に関わるなかで、「見せる美しさ」と「その人自身の美しさ」は、必ずしも同じではないと感じるようになる。
また、かつてはジャズ、ボサノバ、ポップスのシンガーとして自主アルバムを制作し、中国ツアーを経験。 異国のステージで歌うなかで、ことばや文化を超えて気持ちが届く瞬間に、表現のちからを実感した。
いまは、多くの女性のヌードと人生の物語を描き、一冊のアートブックにまとめること、そして個展を開くことを目標に活動中。 ありのままの自分を愛して、堂々と咲き誇る。 そんな女性たちのカラフルな未来を信じて、これからも表現を続けていく。
《SNS》
Instagram https://www.instagram.com/nuide_mossco/
取材
はぎのあきこ
フリーインタビュアー / ウェルビーイング思想家
自分とまわりの環境とのつながりの中で、安寧を感じ幸福な状態を指すspiritual well-being思想を基軸として、「わたしたちはどう生きたいのか、どう死にたいのか」という正解のない問いを探究するため、独自のスタイルで取材・執筆をしながら、タッチケアやエネルギーワーク、ヒーリングを行うセラピストとして活動中。
保健師および看護師、教員として人の生死に触れ、「いのち」に直面してきた経験や最愛の祖母の死からの学びから自分の生き方、在り方を見つめ直すことが今の活動を始めるきっかけとなっている。「自分を知る」をテーマに生きる力を育み、体感して考える講義を得意としている。 取材や発信のテーマは、十人十色の「自分」という存在の美しさ、「いのち」がある今の喜びを伝えている。
情熱をもって「いのち」を尊重し生きている人への取材を2024年より自身のウェブサイトにて掲載スタート。
Akiko Hagino lit.link : https://lit.link/akikohagino
《主な講義》
2021年〜「生命倫理」「看護学原論」の一部講義担当 2024年〜「人間関係論」授業担当
在宅医療専門クリニックにて院内研修講師担当
《講義内容》
セルフマネジメント メンタルヘルス/ウェルビーイング 他者とかかわり生きる/自他理解とは/
倫理と道徳/生命倫理/関係性の発達理論/「聞く」をはじめる/生きるとはたらく/
キャリアマネジメント/チームビルディング など
0コメント