【大友勇太】VOL.② 触れられた人がどこまでも自由になれるタッチのプロから聞いた「自分を知る」身体との対話とは?


「ただ触れること」から見えない世界を体験


ロルフィングの最初の授業の時に、「ただ触れて、そこで何が起こるかというのを観察しましょう」という授業がありました。でも、その頃の僕は、まだまだ「一番になってやる」というエネルギーが落ち着いていなかったんですよね。コントロール、制御が効かない感じでした。



ーギラギラした感じが続いていた。


それが、そのままロルフィングの学びに突入して、僕も性格が悪いから、「こんな高いお金払ってアメリカまで来て、ただ触れるって何?」と、そんな初心者レベルはおもしろくないと、先生の言うこと、課題の意図を素直に聞けなかったわけです。
一緒のクラスでペアになった女性に触れながら、「膝が捻れていて、足首の正しい位置はここで」みたいに分析を始めてしまうんです。でもこれ、「ただ触れる」ということができていないんですね。



ーそうですね。


そうしていると、その女性が急にガタガタガタガタって震え始めて、チアノーゼまで出てきました。先生が隣に来て、「ユウタ、もう続けることはできないから彼女から手を離して」と言われました。一人前にトレーナーとして働いていたプライドはあったのですが、触れることすらさせてもらえない。



ーうわぁ。ショック。


やはり、悪いことをしたなという気持ちがあるし、「この場面から、先生はどうリカバリーしていくんだろう?」と、何かしらは学ぼうとするのですが、僕が離れたところから、そう思いながら見ていると、またその女性がガタガタと震え出すんです。僕が考えた瞬間に。


そうすると、先生がパッと後ろを振り向いて、「ユウタ、今何か考えてる?」と。「何も考えないで」と言われました。正直、「そんなことってある?海外まで学びに来たのに」と思いましたが、ずっと外の木に止まっている鳥を眺めていました。クラスのみんなは平常通り授業を進めている中で、です。

その後の授業でも、その女性とペアになることはあったのですが、僕が何か意図を込め過ぎたり、操作しようとしたり、「多分こうだろうな」と、自分のバイアスが強く出そうになると、先生はそれを察したかのように、僕の後ろにすでに立っていて、トントンと肩を叩かれて首を横に振られることもありました。



ー素晴らしい先生ですね。


そうなんです。僕は、「目に見えない世界」を信じ切れていなかったけれど、リアルにその世界を理解している、《世の中にはマスターと呼ばれるような人がいるんだ》ということを、深く実感するようになりました。



ーようやくそこで、分かったという感じなんですね。


そうですね。ようやく余計なことをせずに、素直に学び始めることができたという感じです。



向いていないかもしれないけれど、間違いはなかった


ロルフィングを学びに来る人は、全然身体に関わる仕事をしていなかった人もいます。僕のクラスメイトには、マイクロソフトやGoogleの元社員、細胞の研究をしていた人、アーティスト、トラック運転手もいました。


アメリカだと、若い時に大企業などで働いて、そこから先は自分の好きなことを探究するという人もたくさんいておもしろいなと思います。


身体に関する仕事をしている経験者は、18人中数人程度で、ほとんど素人の方ばかりでした。そんな中で、初めて一般のモデルクライアントに対して、今まで学んできたことを試しましょうという時間がありました。そこで僕は、5段階評価で1の最低評価をもらうんです。


最初は初心者だったクラスメイトですら、普通にやれば大体は5をもらえている中ででした。



ーそれは原因は?


一番はコミュニケーションを取らなかったことですね。言葉の問題もありましたが、「もっと圧が強い方がいいですか?」とか、お客さんのフィードバックを聞けなかったのです。だから、プロを目指すとしたら、それはありえないという評価だったのかなと。


ロルフィングを意気揚々と学びには行ったんですが、評価としては最悪。それが、さっき話した《触れることはそんなに得意じゃない》という理由ですね。「やはり、触れるのは向いていないのかもしれないな」と思いましたし、すごくショックでした。



ー確かに、そこまで聞くと、「そう思うよな」と思いますね。でも、やめなかった。

頭が回ったり、要領はいい方だから、逆にそれを働かせ過ぎる感じがだめでした。勝手に自分の頭だけで考えるから、その人と《やりとりがない》のだと思います。一方的に自分でこうだと決めつけて、「自分のしたことが正しかったから治った」などという、「自分の承認を得るための道具としてのクライアント」になっていたんでしょうね。


ー振り返ればですけどね。


そうですね。さすがに落ち込みました。


ーもうショックで帰ってしまいそう。


ショックでしたね。でも、やはり《自分が求めている道としては、間違いなかった》。だから、ここでの挫折は諦める理由にはなりませんでした。もしもそれが、自分が本当に求めているものからずれていると、「自分の存在自体が否定された」感じになってしまうのですが、ロルフィング自体の選択はよかったんだと思います。


僕は「ロルフィングと結婚した」と言うことがあります。「もうこの人としかいない」という感じで、バシッと決まった感覚がありました。だから、そこからは、今までやってきたことが、逆に邪魔になってしまったから、《余分なものを削ぐ作業》ですね。


その人を知るために触れ、触れることでその人をさらに知っていく


ーさらっとおっしゃっていますけど、その削ぐ作業ってかなり大変だったと思うんです。


大変ですね。「アイデンティティクライシス」どころじゃないですね。



ー「自分は一体なんなんだ」みたいなね。


そうです。だから、トレーナーの時は、「いかに人脈を持っているか」とか、「有名なチームで働いた経験があります」とか、何かを足していくことが多くありました。それが僕の場合は、「ただ触れる」という時に制限として働いてしまった。

もちろん、そんな経歴がある人でも、素直な人はスムーズにいくと思います。でも、僕は「念じる力」が強く、その力がポジティブに働くと、トレーナー時代のように「絶対できる。やりましょうよ!」と、相手をグッと持ち上げる力にもなります。


でも、逆に言えば、それが「人を縛ってしまう力」にもなりやすいのかもしれません。だから、なるべくそれを削ぐように工夫しながら試行錯誤でやってきて、今現在の僕のロルフィングのやり方に至りました。なるべく、「触れる」ということに、余計な要素を加えたくない。

そのために、触れている時に、鳥を眺めるようなイメージでやりたいので、山形のfestaのロルフィングをする部屋は、とても眺めのいいところなんです。



ーやっぱり景色が良いところが大友さんには必要なんですね。何も考えずに、でも触れることに集中できる環境であると。


はい。《その人を知るために触れ、触れることでその人をさらに知っていく》という感覚になれますね。


ー触れることでその人をさらに知っていく、ですか。


そうですね。その人を知るためには、《触れる》ことがすごく大きな情報をもたらしてくれます。それに、触れられたその人自身も「自分を知る」ことができる。


ー興味深いです。

僕は「自分を知る」方法には、3つあると思っています。《質問する/話す》《動く/移動する》《触れる/触れられる》です。



ーそれぞれどういう意味があるのでしょう?

フィードバックが返ってくることで、人は自己認知しますよね。それこそ、インタビューもそうだと思います。はぎのさんがいてくれて、質問をされて、《話す》ということで、「気づいていなかったけど、自分はこんなことを考えていたんだな」と知るわけです。


あとは、《動く》というのも、身体を動かすことで、「あ、左の太ももがすごく張ってる」と、わかっていなかった自分の状態を確かめることができますよね。さらに、少し大きな視点で考えると、《移動する》という動きも自分を認知するきっかけになります。

「旅をする」ことで、「自分はこれから何をするべきなのか」のヒントを得ることもあります。

そして、《触れられる》ことも、とてもパワフルな自己認識の方法です。誰かに触れられると、不思議と「ちょうど今触れてもらっているところが、昔、怪我したことがあったのを思い出しました」と、忘れていたことが立ち上がってくることもあります。




ー分かりやすい。ものすごく言葉を内側の感覚と近づけて、丁寧に出されてるような、そんな印象を受けます。


はい。僕は言葉をとても大事にしていますね。セッションをする前の問診の時間で、「この人はどんな世界に生きていて、何を見て、感じて、どんなことを大切にしているんだろう」とその人の生きている世界に《質問で触れている》とも言えるかもしれません。「どんな言葉だと反応があるのか」と、そこに気をつけながら問診をしています。


身体の勉強を始めてからブログを毎日のように書いていたり、専門外の本もたくさん読んできました。気になる言葉があれば、ノートに書き写したりしていたので、その経験があって、その人に似合う言葉が自然に見つかるようになってきた感じもします。

それに、今までの経験がパズルのピースになっていて、それがロルフィングとの出会いで一個にまとまってきた感覚もあります。だから、とりあえず若さの勢いだけで動いていた時期も決して無駄じゃなかったと思えます。


ー伏線回収をしていった、と。


そうですね。最初は、理学療法士さんがする評価をバカにして「その時々で身体は変わるんだから、その時の身体にしっかりと向き合えばいい」と、カルテも書かなかったりもしました。本当に職員としては最悪ですね。でも、今は、その時の情報を記録しておくこともすごく大事だなと思っています。

これもまた、最初は否定するけれど、またぐるっと戻ってくるんですよね。そういう「左脳的な処理」として、例えば、原理原則や数字で表せるところと、「右脳的な感覚」として、タッチで人を知るという非言語的なところも、やはりどちらも大事だなと思うから。個人的には、《左脳と右脳のバランスのいい人》に惹かれる傾向にあります。


理屈ばっかりでも硬くなってしまうし、感覚だけでも再現性が低くなってしまうので。



ー大友さんのセッションを受けていると、確かにどちらもありますよね。そこに探求心のような熱いものを感じます。


うんうん。だから、実は専門的な勉強をするよりも、《探求》という意味では、いろいろな本を読んでいますし、それは《人間という存在自体を理解したい》というところにつながっています。西洋医学か東洋医学かということや、肉体か心かスピリチュアルかということで偏ることなく、ジャンルは関係なくどれも知りたいという感じです。


僕のロルフィングを語るには、家族なしでは語れない


ー若い時から考えると、人に対する姿勢がすごく変化されたように感じます。

昔の僕を知っている友人や元同僚からは、「大人になったね」と言われます。でも、その頃にも、人間観察は自然にしていて、いろんな人に興味があったのだと思います。



ー《核が見えてきた》ような感じでしょうか?


そう、核が見えてきた感じですよ。《自分が、何が好きなのか》ということがわかってきたら、不思議と今一緒にfestaをしている奥さんとの出会いもありました。どういう人と、どういう場所に一緒に住むと心地よくて、ということが決まってきたんです。

ロルフィングと出会ってからは、友だちや知り合いになる人や好きになるようなタイプも全然違ってきたように感じます。



ーどんな風に変わったのでしょう?


以前は、明るく目立つ人が好きでした。僕が一番を目指していたから、同じように向上心がある人と一緒に夢を語り合っていたい感じでした。「あなたはどういうチャレンジをしているの?」という感じですよ。



ー熱い。

熱いですね。でも今は、「今この1日の、この時間が幸せに終われるように」と変化しました。それは、日々ロルフィングができて満たされているから、その1日を共有できるような人がよくなった。うちの奥さんは、スポーツでプロの世界まで行って、それこそ一番になった人なんです。


話を聞いてみると、目標を設定するわけじゃなく、「その日にできることをする」という感じで、気づけばプロになっていたというような人でした。でも、出会った当時の僕はそうは思えませんでした。まだまだ「もっと違う自分になりたい」と、こことは違う世界を常に切望していたのかもしれません。


今は、「家族が幸せで、ロルフィングができて、1日が終わっていけば幸せだな」と本当に満足しているから、それをやっていくだけという感じになりました。



ー奥さんの存在がすごく大きいのですね。


うちの奥さんはすごいです。僕のロルフィングを語るには、うちの奥さんなしでは語れないから。



ーそうですね。少年が一気に成熟した感じに 笑。人と人の影響って大きいですね。

そうですね。親になったこともそうですけど、「どうにもならない存在と一緒に暮らす」って、すごくいい経験なんだと思います。自分が「こうしたい」だけでは、うまくいかないじゃないですか。



ーロルフィングが生き方そのものになってきた、と。

そうですね。そういうものに出会えて本当によかったなと思います。



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