生きること
最愛の祖母が昨年末亡くなった。
幼いわたしを世話するために故郷をはなれ仕事を辞めてから、11年もの長い時間一緒に暮らした祖母。
祖父が亡くなった後は、田舎の自然の中で25年一人で暮らしていた。
祖母は寂しがりやだが、一人が好きだった。
陽が登れば起き、陽が落ちると床につく。
畑を耕し、草を刈り、猫や犬の世話をし、祖父の墓をきれいにして手を合わせ、毎日を積み重ねた。
決してたくさんお金を稼いだわけでもなく、早くに仕事を辞めたので年金も少なかった。
ただ必要なものを必要なだけ。
近所のひとたちを助け助けられながら、その日にあったことを日記に記し、丁寧に暮らしていた。
豊かな人だった。
持病の心臓が徐々に弱り地球にいのちが還っていった。
この社会情勢の中、ただ会うということが難しい現実に直面し、面会できず2年ぶりに会えたのはお葬式だった。
人は生を一分一秒を延ばすために生きるているのか。
人は死なないために生きているのか。
安心とは何か。
生きるとは何か。
こたえのないこたえを私たちはどれだけ自分に問いかけられているだろうか。
祖母はわたしにたくさんの問いかけを与えてくれた。
そして、祖母からたくさんの愛を注がれ続けていることを改めて知る。
つながれてきたいのち。
これまでも、これからも。
死はいつも生ととなりあわせ。
いつか、〜したら、はない。
今があるのは奇跡の連続。
明日はさらにその奇跡を重ねる。
明日がある保証はどこにもない。
死ぬことは悪ではない。
何度も死を観てきて思う。
生と同様に尊い。
肉体がなくなれども、それは在り続けるから。
でも、寂しいし悲しいね。
ただ今を大切に。
『しっかり生きんさい』
祖母はそう言ってるだろう。
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