Teol つながり

あなたとわたし 暮らしに心地よさとやさしさを。 心地よい内と外の環境をととのえ、 いのちを表現して健康に生きる。

心を開くも閉ざすも自分が選び、変化に調和しながら生きる

周りにたいしての自分の意識のもちかたが
壁をつくればつくるほど、
周りは本音を言わなくなり
感情の波は荒立たなくなる。

心を開けば開くほど、
周りは言いたいことを言い
感情の波が大きくなる。

どちらも良い悪いではなくて、
どちらの側面もあるということ。

あなたの現実はどちらに傾いていますか?
このことを自覚しているか否かで
大きな違いがあります。

自覚できていなかったから、
現実への葛藤が大きく
苦しいものになりますが、
自分で選択していることを自覚すると
受け止め方が変化します。

自分は心を開いて人に関わりたいのだ、
と自覚すれば、周りの感情が荒立とうが
それは必然として起こっている
自分の選択によって起こっている
と受け止められるようになります。

言い換えると
責任とか覚悟とかいう言葉で
置き換えられるかもしれません。

心を開くんだから周りも穏やかになってよー!
とか、都合の良いことは
最初から求めても無駄。

そう思っている時点で
自分の中の警告アラームが鳴り響き、
安心安全を感じられないため
心を開くことはできない、
と思っておいた方がいいです。

ただ、自分がちょっとビビってるな、
不安を感じながらも心を開きたい
と思ってるんだな、
と自分を観れているなら、
それはビビっている自分を感じながらも
すこーしずつ開いていきながら
チラチラ様子をうかがい、
自分の意図に納得して
調和に近づくでしょう。

というのも
心を開けば人も心を開きやすくなるため、
良くも悪くもたくさんの感情が
ひしめき合う状態に
身をおくことになります。

周りがみんな安心を感じていたら
素晴らしい場になるでしょう。
ただ、そうとも限らない。
自分が開きかかわることで、
周りも蓋をしていた感情や言葉を無意識に
出すようになり、
望んでいることではあっても
受け止めきれなくなることもあるでしょう。

現実は操作できません。

ただ自分の選択によって起こったもの
ですが、
そのことを自覚すれば
現実を受け入れる他ないと知ります。

自分の感覚や体験の融合、確認です。

アンドロイドのように冷酷になるわけでは
ないです。
(以前私はそうなると思っていました。
感情の起伏がなくなり
人間らしさが失われると、、)
むしろ、より人間らしくなると
感じています。

強く踏ん張らなくたっていい。
人間なのだから、
時には心を閉ざしたくなることも
あるだろう。
だれかにどっぷり甘えたくなることも
あるだろう。
強がってしまうことも
あるだろう。

大切なのは、
そんな自分を観察する自分の存在が
いるのかどうかです。


自分が心を開いた人との関係を望む
のであれば、
人とのかかわりで表出される感情を
浴びながらも、
自己に沸き上がる感情を感じて、
その中で生きることを自分で選んでいる
と自覚するしかないのです。

自分でバランスをとりながら。

もちろん、人とのかかわりにおいて
心を開かずに穏やかに過ごしたい
と望んでもいいのです。

もしも、自分は本音を言っているのに
相手は本音を話さないと感じていれば、
自分はオープンだと思っていても
心を閉ざしているのです。
それは真摯に周りが教えてくれています。

大抵は無意識です。
受け取るかどうかも自分が決めています。
受け取りたいと意識すれば、
すべて自分の肥やしとなります。

奥底で嫌だと拒否していれば、
スルーされます。
それが悪いことではないのです。
今は受け取れない。
人にはタイミングがあるのです。

ただ、自分との解離は葛藤を生みます。
エネルギーは消耗していきます。


弱くたって、完璧でなくたっていいんだ
と自分をゆるしていくことで、
解離していた自分を戻し一体感を得ていく。
こればっかりは、頭でわかっていても
どうしようもなくて
体験していく他ないのです。

そして、
心を開いたもの同士のかかわり合いは
とても心地よくクリアなものだ
と気づきます。
一方で、人間一定はなく、
その都度状態は変化し
この人は・・・・だ、
という見方は無意味なことを知ります。

すべて不確実性の中で生きており、
バランスをとっています。
いつも心を開いているわけではないし、
一回体験したから
ずっと安定するとかいうこともない。

自分を含め、
常に変化している存在だからこそ、
固まりそうなものの見方を
常に柔らかくすることで
(これがつまり手放しとか
解放と呼ばれるものかなと思う)
今この瞬間瞬間の出来事に
素直に反応し楽しみ、
観察しつづけていくことこそ、
人間の可能性なのです。