不安や恐れを感じたときに
不安と恐れの感情の渦のなかにいるとき、自分は感情にのまれてしまっていて自分のことが見えない。
というより、見ないようにしているんだよね。その方が楽だから。
私がそれを初めて実感したのは、数年前。
娘が学校に行きたくない、怖いと言い泣き叫ぶようになったとき。
その頃の私は、中国からやっーと帰国した後にまた看護師の仕事をばりばりやっていくぞ、と意気込んでいたとき(本当の心の叫びは違ったんだけど)。
訪問看護の仕事を増やし、子供たちは延長保育や学童保育で、、と。
その矢先。
最初は泣き叫ぶ我が子をなんとか落ち着かせようとか、
先生に言って何とかしようとか、
今から思えば不安で恐れていたのは自分。
目先の対処ばかりで何も見ようとしていなかったんだよね。
元通りの生活に何とかならないか、
必死にあがいていた。
懸命に対処に走り、たくさん相談した。
公共機関、専門と言われる人達、講演会。
当時対処を求めていた私には、
そりゃあ対処法ばかり返す人達にしか出会わなかったし、
しっくりくるはずはないよなあ。
そんな私に
当時勤めていたクリニックの先生が、
『母親がすべてだ、母親との関係なんですよ』
と私の目を見てずばっと言ってくれた。
一撃くらった私はその後車で大泣きした。
さらに、当時の娘の校長先生が
『お母さんが笑っていたら大丈夫ですよ』
といつも声をかけてくれた。
でも、笑えなかった。
当時の私は被害妄想満開だったので(笑)
それらの言葉を自分を責める言葉と受け取り、ふさいでいたんだなあ。
お恥ずかしい。
いやそれなりに必死だったのだけど
渦中にはまっていたから
もう、どうにも行き詰まって、
私は、仕事を休業した。
娘と過ごした。
自分で~ねばならないで縛り付けて
しんどかった。
見ないようにしていたことが、
一気に現実として直面せざるを得なかった。
苦しい、苦しい。
まさに悲劇のヒロイン。
でも、我に返らせてくれたのは、子供たち。
娘と息子。
それに、周りには素晴らしい人達がたくさんいてくれた。
引きこもりの私を大学の友人は連れ出してくれ、
働いていた訪問看護ステーションとクリニックはどちらもいつでも戻ってきたらよいから、今はゆっくりしたらいいと言ってくれた。
学校の先生たちは、保健室登校にさらに居場所を作ってくれて。
保健室では役割をつくり先生たちとお仕事をさせてもらい、勉強は校長先生や教頭先生が見てくれて。
娘にダンスの楽しさを教えてくれたのは、保健室の先生で。
保健室にいることで、たくさんの先生が娘に話しに来てくれて。
そんな周りの温かさにふれ、気付き
私の見ていた世界は色を変えていきました。
私の考え方が変化していったのです。
目的は娘が娘らしく過ごすこと。
そのためには何を優先すべきか。
彼女の気持ちは、と。
他人には分かるわけなかったんだ。
行動の判断は自分しかなかったはず。
そうしたら、3か月くらいして教室に行き始めました。
段階をふみながら、彼女のペースで。
学校に行くことだけがよいわけではない。
でも、恐れや不安から踏み出せないことは進んでいく方がより豊かに視野が広がる。
私に娘が身をもって教えてくれた。
彼女は私そのものだった。
娘が今の私に導いてくれた。
子供はお母さんに全力でぶつかってきてくれているんだなあ。
時々忘れるから、あのときのことを思い出す。
息子がよく熱をだして、疲労困憊の私をストップさせてくれてたのもあるなあ。
本当に世話のかかる母だわ。
今でも気づいたら、ってことあるある。
当時は自分のことを深く見つめたわけではなかったから、
後々、さらにわたしの癖を露呈することになり、衝撃を受けた話はまた今度かこう。
そうやって成長させてもらってる。
自分が望めば世界は変わる。
その時が悪かった、今がよいではなく
過去に戻れたらではなく
自分がどうありたいのか。
私は本気で望んできたから、
今見えている景色がある。
つながるご縁がある。
根性論でも方法論でもない、
たくさんの体験を通して得てきたことを、
今度は感謝とともに
多くの方にお還ししていきたい。
今、私にできることをしよう思いました。
オンラインセッションをはじめます。
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