TEOLつながり

フリー看護師&保健師として、教育方面で活動。同時に、自分を観ることを追求し、そのマニアックな話を好む人達と共有するセッションやワークショップを開催。暮らしに心地よさとやさしさを。いのちを表現して健康に生きることを共有できる場をつくっています。

PROFILE

看護師・大学教員

看護大学卒業後、看護師として病院で消化器・乳腺一般外科病棟勤務。

死という終わりある生命に直面しながら、人間という存在、いのちについて深く考えた時期。


京都にある私立大学の看護学部立ち上げに1年間基礎・成人看護学助手として勤務。学生さんの純粋さに触れ改めて看護とは、教育とは、、と試行錯誤。

研究活動の一環として、訪問看護における自宅で療養する方の外出支援を一緒に取り組めた経験もまた、後々の私の人生につながるものでした。


結婚→中国で生活

結婚と同時に中国(蘇州・上海)での生活をスタート。

語学留学を経て様々な国の友人と中国語で交流。異文化間の違いを肌で感じ、国への思い込みや自国に対する無知を痛感。そして、初めて言語というものは、学ぶものでなく使うもので、言語に頼らずとも人間は交流できることも知りました。


出産と子育て

中国生活の中で2人を出産。出産後は自分以外で守りたい存在ができたことにより、中国での生活は楽しむばかりではありませんでした。例えば予防接種や医療、食べ物、水など、日本なら皆が同じように当たり前にしていることに、1つ1つ疑問を持って選択決断する必要を感じました。不安と恐怖の方が大きかったかもしれません。毎日必死に子育てをしていました。
だれも助けてくれない、私だけが子供たちを守れるのだと思っていたのだと思います。
家族みんなが病気や怪我を繰り返し、息子が感染症で重症となり、現地の病院で入院し命が助かったことをきっかけに7年の中国生活を終わりを告げ、日本に帰国しました。


中国から帰国→訪問看護師

帰国後は家族全体が落ち着いてから、訪問看護師、訪問診療看護師として看護に復帰しました。仕事に没頭し、心身ともに疲れていく自分が分からないまま子育てと仕事に必死の毎日を過ごしました。

そんなある日、娘の『学校にいきたくない』という叫びを聞き、私が娘とというより、自分自身と向き合うようになってから人生の歯車が大きく変わりだしました。

それまで、蓋をしてきた感情や見て見ぬふりをしてきた現実に少しずつ目を向けるようになったのです。あくまで、恐々、少しずつ、、


発達を学ぶ→個人事業主【発達教室・タッチケア・ボディケア・エネルギーワーク】・委託保健師

娘のことをきっかけに、人間の発達、成長、そして、ふつうって何?ということに興味を持ち、「発達」を学ぶようになりました。赤ちゃんの脳と認知、運動発達から発達障害とよばれる子達や成人についてまでを学び、NPO法人と株式会社を運営する母体の発達支援事業のフランチャイズとして実践するべく発達教室開校。

地域の幼児から中学生までの子たちと継続的にかかわらせていただきました。粗大運動から微細運動まで、脳の神経回路をつないでいく意識運動を中心に、その子の好きな遊びを大切にして個別にかかわりました。そんな中、少しずつ個人事業主として活動を拡大。

教室で目の前の子どもたちから受け取ったことをその都度考え探求し、「触れること」の素晴らしさと奥深さを知ればタッチケア(ベビータッチケア、ボディケアなど)や整体といった肉体に近いアプローチを学びに行きました。さらに、それだけではない感覚は何なのかを知るために、エネルギーワーク(S-Rタッチ、クォンタムタッチなど)やヒーリング(歓丹ヒーリング)といった目に見えない量子的アプローチまで必要だと思ったことを学び、習得しました。

また、赤ちゃんに早期からかかわりたいと思い、教室の対象を乳児からに拡大するとともに(ベビータッチケア教室)、委託保健師として新生児訪問や乳幼児健診にかかわりました。


目を合わせられなかった子がじっと目をみつめてくれるようになったり、常に突進して止まれなかった子がじっと体にくっついてきて優しく触れられるようになったり、自分以外の他者に興味がなかった子が友達と映画やスポーツをしに遊びにいくようになったり、好きな子ができたと話してくれるようになったり、スケジュール表を持ち確認しなければ出かけられなかった子がそんなものなくても家族で遠出の旅行に行けるようになったり、お医者さんが恐怖で病院に行けなかった子がいつのまにか付き添いなしで自ら診察室に入れるようになったり、、、

挙げればきりがないくらい、子どもたちがそのままで生きることの喜びや美しさを教えてくれました。


目と五感を学ぶ→眼鏡屋

発達支援で子供たちと接するなかで、多くの子の目の困りを実感していた頃、娘がまぶしさに苦しんでおり、光を敏感に感じていることが発覚。
遠視であることも初めて知り、カラーレンズを研究されていた発達する眼鏡(後のイノチグラス)に出会いました。光と色彩が無意識の中で身体に与える影響を知り、感銘を受けました。

イノチグラスの目育士となり活動開始。

目-身体-脳と意識のつながりを感じる「本人の中に答えがある」検眼でのセッションは、自分の在り方、人とかかわる在り方を感じ考える機会を私にもたらしてくれました。

自分という人間の弱さや他者に関心を持ちかかわること、人間という存在の不思議さや生きることの問いかけを真剣に向き合うようになったのは、ほかでもなくイノチグラスでの経験からです。現在の私につながっています。


また、自然と人間の関係と生きることのつながりを強く感じるようになり、自然療法:フラワーエッセンス(和樂神樂)、ホメオパシーや色彩心理療法(coconavi講座)をツールとして用いるようになりました。


人生を振り返り立ち止まる

発達支援教室や目育士の活動で、自分の在り方が大きく変わったことで、見える世界が変わることを体験しました。

何より夫との関係性が変化し家庭に無関心で仕事ばかりで家に帰ってこないと思っていた人でしたが、今では夕食をほぼ毎日作ってくれ、共同体として一緒に過ごしてくれる夫と協力関係にあります。

以前は問題ばかり見えて、将来がとてつもなく不安だった娘。今も私に問いを投げかけてくれる存在で、時に感情が揺さぶられることもありますが、芯が強く、この人なら大丈夫という確信のようなものを感じています。

病気がちで弱いと思ってていた息子もめったに体を崩すことなく、体力がつき、マイペースに自分に没頭するようで周りに溶け込む不思議な存在です。


わたしは、自身の体験から、観るべきものはすべて自分の内面なのだと知りました。

外側の現実は結果でしかありません。結果を変えよう、外側の他者や現実を変えようとしても苦しくつらいものでした。

それは、自分が自分自身を見ずに外側のせいにしているだけで、自分はちっとも満たされてはいなかったからです。


自分への信頼がなければ、見えるものにばかり影響を受けて本来の自分の内側とのつながりがもてなくなるため、迷いあてもなく探すのです。それ自体が悪いわけではなく、今の自分につながる大切な過程でした。


意識を学ぶ→秘行

このような過程で、潜在意識について興味をもつようになり、多くのワークショップや講座を受講したり、リトリートにも参加したりして習得したことをセッションの中に取り入れていくように。

そして、ある時、自分を観る「秘行」に出会いました。

秘行はわたしの世界の概念を壊しながら、意識を拡大するサポートをしてくれました。

そして、もっと人間の奥の奥の本質に触れたいと思わせてくれました。


そして現在は

◯個人活動

個人セッション、イベントではその意図や場に合わせてワークショップを組み立て、秘行のファシリテーターとして自分を観るワークを実践。

◯非常勤講師

看護教育:複数大学の非常勤講師
初心にかえり、大学生の純粋さに触れながら、授業だけでなく、演習や実習において知識や技術だけではなく、答えのないものに対して自らが多様に感じ表現する場にかかわる。

◯大学院

2022年より大学院に入学
看護とは何か、老いるとは、生きるとは、といった答えのない問いに対し、人間の非言語を言語にする語りや行為から答えを見つけて行く研究を始める。


自分自身が自分という人間の存在を観て、感じて、表現できるよう解放していくこと。

自分の首を絞める手をほどくのは自分しかいません。

自己基盤を築き、他者とのつながりの中で創造し生きること。


これらを大切にして生きています。